ドキュメンタリーアクティングDocumentary Acting
ドキュメンタリーアクティングは、実在の人物を取材し、演技を通してその人を身体に迎える方法。 筒 | tsu-tsu が考案し、2021年の《Being my friend》で初めて公に用いられた。
「ドキュメンタリーアクティング」は、実在する人物をリサーチし、パフォーマンスを通じて身体に宿す方法論である。日本舞踊における身体感覚—演者の身体が特定の役を演じる器ではなく、何かが通り抜けていく通路となる—その「筒」の概念に依拠している。プロセスは、膨大なインタビュー、「Acript」(物語ではなく、所作・言葉・習慣をマッピングするための演技のための記譜)の構築、そして対象が少しずつ演者の身体に書き込まれていく反復的な稽古からなる。そして、どうしても取り込みきれないもの、演者と対象のあいだに残る、還元できない隔たりこそが、この仕事の倫理的な核となる。そこで演技は、もはや誰かを「代表=表象」することをやめ、他者を知り尽くすことの限界そのものを露わにする行為へと変わる。
筒 | tsu-tsu は、宗教儀式としての歌舞に演者として携わった経験から、超越的なものを降ろす通り道=「筒」という身体感覚を得る。また、2019年の留学中に行った、演技を用いた参与観察的リサーチによって、演じきれない部分こそがそれまでの人生で堆積された設定、ないしはその容れ物である「筒」であることを発見し、「遠心分離器のような装置」として演技を再定義し、演技=人が別の人になる過程そのものを表現行為と位置付けた「ドキュメンタリーアクティング」を発明した。ここでは、演じる過程で行われる一連の活動、すなわち、取材、Acriptの作成、稽古、実際に演じるパフォーマンス、その後の鑑賞者との対話を同価値に位置付けている。
マニュフェスト
- 01 これはベクトルを示す仕事であり、演技自体より、そのプロセスを重視する。
- 02 必ず、演技は役者個人の解釈でしかないことを通達する。
- 03 Acriptは創作してはならない。音声があればそれを、なければ取材をもとに正確に現実を描写するよう努める。
- 04 Acriptそれ自体はストーリーをもたない。演技のための地図である。
- 05 演技者は、Acriptの内容に対して距離を取るよう努める。
- 06 「似て見える」ということは重要ではない。
- 07 鑑賞者を意識してはならない。意識しない環境を自らで用意すること。
- 08 俳優主体の働きかけによって、状況・関係性を産む。